こんにちは。
今夏のヴィッセル神戸の補強はすさまじかったですね。
東京オリンピックの合間にはさんでくる移籍話は時にはオリンピックよりも話題性に富んでいましたね。
武藤嘉紀、大迫勇也に続き、ボージャン・クルキッチです。
古橋亨梧選手が残した移籍金が8億円にのぼり、これだけの補強ができたとの話ですね。
武藤選手、大迫選手は日本では知らない人はあまりいないと思いますが、ボージャンと聞いて誰?と思った方も多いのではないでしょうか?
先日、待望の来日初得点をマークしたと思ったところでケガのため日本を離れてしまいましたが、きっと戻ってきてくれると思います。
そこで今回はボージャン選手がどんな選手かということと、実はボージャン選手はあのメッシ選手の遠い親戚にあたるということで、その辺りにもふれていけたらと思います。
選手のことをより深く知って試合を見ると、熱の入り方も変わってきて楽しくなりますのでそのお役に立てれば幸いです。
ということで今回はヴィッセル神戸に来たボージャン・クルキッチがどんな選手で、メッシと親戚だったというけどどんな関係なの?というお話です。
ボージャン・クルキッチはメッシの親戚?
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そういえば、ボーシャンとメッシの顔が似ているような気がしてきました。
それもそのはず。
ボージャン選手はあのスーパースターのメッシ選手と遠い親戚だったのです。
なんとお互いの曽祖父が兄弟ということです。
メッシはアルゼンチン人でボージャンはスペイン人ではないの?
と思いましたが、何と2人のルーツはスペインにありました。
ボージャン・クルキッチとメッシの曽祖父が兄弟
ここで2人の縁をたどってみましょう。
1846年スペインでボージャン選手の高祖父母にあたるマリアーノ・ペレス・ミラジョスさんとテレサ・ジョベラ・ミンゲさんが結婚しました。
そしてまず2人の間に1859年、メッシの曽祖父にあたるラモン・ペレス・ジョベラさんが生まれ、その9年後の1868年、ボージャンの曽祖父にあたるゴンサル・ペレス・ジョベラさんが生まれました。
そこから時が過ぎ、ラモンさんの娘ロサ・マリア・ペレス・ジョベラさんがアルゼンチンに移住し、そこでエウセビオ・メッシ・バロさんと結婚し生まれたのがメッシの父ホルヘ・メッシさんでした。
ボージャンの曽祖父ゴンサルさんはそのままカタルーニャにとどまり、その孫娘にあたるボージャンの母マリア・ペレス・ルイーザさんがセルビア人のサッカープレーヤーだったボージャン・クルキッチ・シニアさんと結婚し生まれたのがボージャン・クルキッチ選手というわけです。
2人はお互いに親戚ということを知らなかった?
1987年生まれのメッシ選手は13歳の2001年にバルセロナに加入、1990年生まれのボージャン選手は8歳の1999年にバルセロナのラ・マシアに入団します。
ボージャンの7年間に900得点をあげる活躍により2007年16歳でトップチームへ昇格することでメッシとの競演をこのシーズンに実現しました。
ほぼ、偶然に時を同じくしてバルセロナに関わった2人ですが、2人がお互いに親戚だとわかったのは2011年、ボージャンがバルセロナを去る時の取材によってでした。
ボージャン・クルキッチのプレースタイル
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お父さんがサッカー選手だったこともあり、生まれながらにして環境も含めてサッカー選手になるべくしてなった人ですね。
柔らかいボールタッチからのスピードの切り替えで相手の逆をついたり、裏へ抜けて一瞬でシュートコースを見つけて蹴り込んでしまう。
FWとして、持つべき得点感覚を持っている選手です。
最盛期にはNEXTメッシと言われ、注目を集めたのもうなずけます。
ガツガツと相手に当たっていくタイプではなく、ひらりと相手をかわしたり、ボディーコンタクトを受ける前にパスしたりするタイプの選手です。
また、自分だけが得点を狙いに行くのではなく、上手に周りの選手と連係しながらゴールに向かいます。
メッシがドリブルに大きな特徴があるのに対して、ボージャンはドリブルで突破していくよりも周りを活かしながら点を取れる選手ですね。
ボージャン・クルキッチのプロフィール
国籍 | スペイン・セルビア |
---|---|
生年月日・曜日・干支 | 1990年8月28日・火曜日・午年 |
身長・体重 | 170cm・65kg |
利き足 | 右 |
結婚 | 未婚 |
サッカー選手の父をもち、環境はサッカーに親しみやすいものでした。
幼少期からバルセロナFCに所属し9~16歳の間に通算約900ゴールをあげ、この活躍によって16歳でバルセロナのトップチームに昇格し、プレシーズンマッチですぐに得点にからむ活躍をしました。
2007年9月16日に17歳18日の若さでリーガ・エスパニョーラにデビューし、1ヶ月後の10月20日のビジャレアル戦で初得点をあげ、それまでメッシが持っていた最年少得点記録を塗り替えました。
スペインの労働法では18歳になるまでは契約を結べなかったため、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、チェルシーなどプレミアのクラブチームがボージャン獲得に動きましたが、バルセロナを離れるつもりがないことを明言し、18歳になるとすぐにバルセロナと契約をします。
そして2007-08シーズンはデビューシーズンながら10ゴールをあげリーガの新人記録を塗り替え、トップチームに定着をします。
2008-09シーズンには背番号11を与えられ期待が大いにかかるシーズンでしたが、ここで悲劇が訪れました。
不安発作に心身をむしばまれたボージャン
ある日、突然、原因不明の強いめまいがボージャンを襲ったのです。
次の日の試合は錠剤で症状を抑えて試合をやりきりましたが、その後ホテルで倒れ込み、ふるえが止まらなかったので病院に行きました。
そこで、重度の不安障害と診断されました。
数種類の薬を併用して症状を抑えていたボージャンの体は、本来のパフォーマンスを発揮できる状況ではありませんでした。
バルセロナというトップチームに所属することの重圧が若く、精神的に未完成だったボージャンを蝕みました。
同じバルセロナの同僚だったイニエスタもうつ病になってしまったことがあり、バルセロナにいることで受ける重圧が並大抵のものではないことを物語っています。
これにより、スペイン代表としてフランス戦に招集された時は体調不良のため出場できませんでした。
またEURO2008への招集時は、自ら辞退をしました。
病気の公表をしなかったため、ボージャンの代表辞退は少なからず非難にさらされました。
先日の東京五輪もスペインはフランスと違って代表招集に強制力があったため、トップ選手を東京に連れてくることができたことからもわかりますが、サッカーに対する意気込みは国をあげてのものになり、代表招集を断ることは多くの国民に良く思われなかったのは想像できますね。
その様な苦しみを受けたボージャンでしたが、代表戦デビューはその年2008年9月10日に果たされました。
その後、2011年3月には史上最年少で100試合出場という記録を打ちたてました。
史上最年少記録を次々と塗り替えていったデビュー当初でしたが、不安障害が大きな足かせとなって出場機会を失っていき、2011年8月には出場機会を求めてイタリアのローマに移籍しています。
デビュー当時に他クラブからのオファーを拒み続けて18歳でバルセロナでデビューしたボージャンでしたが、それから4年たったこの時はチームからの信頼を得られていないと、失意のどん底にいました。
その後は2012-13シーズンにACミランに1シーズン、2013-14シーズンにバルセロナに戻りそこからフランスのアヤックスに1シーズンと転々とします。
このシーズンごとの移籍の中でも無得点でシーズンを終えたことは1度も無く、ミランでの3点が1シーズンでの最低得点というところは、ボージャンの非凡なところです。
こういったところをプレミアのストークシティーFCに評価され4年契約で再び移籍します。
2015-16シーズンには前半戦終了時点で5得点と好調でしたが、翌シーズンには調子を落とし、2016-17シーズンは前半で9試合の出場にとどまりました。
そして、2017年1月にはブンデスリーガのマインツに半年間の期限付き移籍をします。
ここでは11試合出場で1得点でした。
マインツには武藤嘉紀が同じ時期に所属していたので、ヴィッセルではイニエスタや武藤らのかつての同僚との再会を果たすことになりますね。
2017年8月31日には再びリーガに戻り、今度はアラベスに1年間の期限付き移籍をします。
この1年間でプロ入り以来、初めて無失点に終わりました。
そして2019年8月にはストークとの契約を解消し、今度はヨーロッパを離れ、遠くカナダのモントリオールに舞台を移します。
モントリオールとの契約期間は2020年12月までと1年あまりの短期契約でした。
モントリオールではカナディアンチャンピオンシップの優勝にも貢献し、25試合で7得点と活躍したため延長オプションの行使の申し出もあったのですが、ヨーロッパ復帰への道を希望したため当初の契約期間の12月31日でモントリオールを去ることになりました。
ところが、ヨーロッパのチームには冬の移籍期間には声をかけるクラブはありませんでした。
そこで声をかけたのが、ヴィッセル神戸でした。
当初はヨーロッパのクラブを探していたので、決して本意ではないとは思いますが、イニエスタや武藤などかつての同僚や、ブンデスリーガにいた酒井高徳など知った顔がいることはボージャンにとっては大きいでしょう。
得点のバリエーションを求められるボージャン
今回の補強は古橋選手の抜けた穴を埋めるのが目的だと思いますが、古橋の得点パターンは裏への抜け出しという決まったパターンに偏りがちだったので、これだけのタレントをそろえたチームには得点のバラエティーを増やすことが期待されていますね。
ボージャンは流れるようなドリブルでの抜け出しもあり、味方へのスルーパスもあり、攻撃の幅を広げてくれる存在であることは間違いないでしょう。
ヴィッセル神戸に来たボージャンがメッシの親戚?:まとめ
今夏にFW3人を1度に補強したヴィッセル神戸ですが、どの選手もけがや病気に悩まされた経験を持つ選手ばかりで、今までのチームで長い期間、無双してきた選手ではないところが一つの懸念材料ではあります。
ただ、3人とも国の代表となった経験を持つ、いわゆる国のトップアスリートである実績は揺るぎの無い事実です。
イニエスタが日本で非常にリラックスして試合に臨んでいるように、ボージャンものびのびとプレーをして、本来の輝きを取り戻してほしいですね。
いつから試合に出場できるのか待ち遠しいですが、現在はまだ入国後の隔離期間ということで日本にはいますが、合流まではもう少しのところです。
それからメッシと親戚ということで、日本で再会企画など組まれるかもしれません。
日本のJリーグに世界の目を向けるきっかけになるのは間違いありませんね。
というわけで、ヴィッセル神戸に来たボージャンがメッシの親戚だったというお話を中心にボージャンについて調べてみました。
最後まで読んで頂きありがとうございます。