こんにちは。
クロスドミナンスという言葉を聞いたことがありますか?
私も最近この言葉を聞いたのですが、クロスドミナンスというのは使う手が動作によって右手だったり、左手を使い分けることを言います。
私は自分が左利きだと思っていたのですが、字を書くことと箸、ボールを投げることは右で、それ以外は基本的に左です。
というわけで私はクロスドミナンスです。
両手を全ての動作で使えるわけではなく、1つの動作に対して使える手がどちらか決まっており、使いやすい手が違う状態なので両利きではありません。
というわけで、今回は両利きとクロスドミナンスの違いについてやクロスドミナンスのメリット、デメリットについてお話します。
クロスドミナンスと両利きの違いって何?どんな特徴があるの?

字を書いたり、箸やはさみを使う時など皆さんはどちらの手を使いますか?
統計によると9割の方は右利きなので右手を使うと思います。
そしてあとの1割が左利きで、両利きのデータは残念ながらありませんが、クロスドミナンスは左利きの更に1割程度と言われています。
両利きとクロスドミナンスは似ていますが、明確な違いがあります。
クロスドミナンスは両利きではない
両利きはその言葉の通り、どんな作業、動作もどちらの手でもできるということですが、クロスドミナンスは、その動作によって使う手が変わることを言います。
例えば、箸や歯ブラシは右手で使い、鉛筆は左手、といったように動作によって使う手が違うことをクロスドミナンスと言います。
クロスドミナンスは両方を使えるわけではなく、箸を右手で使う場合に左手でも同じようにできるかというと、そうではなく左ではやりにくく感じるものです。
何故それがわかるのかということですが、私がまさにクロスドミナンスだからです。
私がクロスドミナンスになったのは何故?
私は字を書くこと、箸を持つこと、ボールを投げることは右手で行い、後は左手で行います。
歯ブラシや、卓球のラケット、トイレの手、ボーリング球を転がすのは左手です。
球技でも上から投げ下ろすパターンは右で、ラケットを使って打ち返したり、下を転がす球技は左手というのが、自分でもよくわからないのですが面白い違いです。
最近東京五輪でブームが再燃したスケボーも私は「グーフィースタンス」という右足がボードの前、左足が後で乗るのが乗りやすいです。
生活の中でよく起こることは、自分でよく使う手や足をわかっているのでとまどうことはありませんが、初めてのチャレンジは大変です。
右、左とどちらが使いやすいのか、やってみないとわからないのです。
私がこの様なクロスドミナンスになったのは、私自身は覚えていないのですが、母の話によれば小さい頃に左利きは不便でよくないものというその時代の価値観によって、祖父による矯正があったからだと思われます。
確かに右利きが9割を占める世界では、右利きを基準に様々な物が作られています。
将来を考えて子どもや孫が苦労するのを黙って見過ごせないという親心からでしょう。
クロスドミナンンスになるパターン
それではどの様に人はクロスドミナンスになるのでしょう。
まず一番多いのは、私と同じパターン。
本来左利きの人が、親の矯正によって部分的に右に治され、字を書いたりご飯を食べる時だけ右を使い、他の動作は左で行うような状態です。
そして、2つ目のパターンは怪我で使えない手の代わりに練習するうちに使えるようになるケースです。
この2つのパターンは、積極的な理由ではありませんが、最後のケースは、誰に矯正されたわけでもなく、その時々で使いやすい手が異なり、自然とクロスドミナンスになったケースです。
成長過程で使いやすい手を使って作業をしてきた結果、作業によって右手、左手を使い分けるような形に自然となっていくケースです。
生まれた時から、成長する過程で何かする時にその都度使いやすい手を使ううちに左手や右手を織り交ぜて使うことになります。
クロスドミナンンスのメリット・デメリット
クロスドミナンスとしてあげられるのは、違う作業を同時進行でする時に利き手が違うことで、左右で同時に作業できることです。
私の場合は電話を取る手が左で字を書くのが右なので、電話で話しながら字を書くのは同時にできます。
デメリットとしては、初めての作業で慣れるのが苦手なことです。
どちらの手を使ってやるのがやりやすいのか、最初に迷いながらどちらかの手に決めていくので、自分で感覚をしっかりつかめるまでは、「こっちの手でもないからこっちの手のほうがやりやすいかな?」とか自分のものにするのに時間がかかるのです。
矯正でクロスドミナンスになるとよくない影響も

私が何となく抱いていた動作がスムーズにいかないとか、器用にできないといった感覚が自分が左利きのためだと思っていたのですが、左利きであることに加えて、矯正によってクロスドミナンスになったことが影響しているかもしれないと思いました。
矯正は本来使いやすい手を使えないものにすること
人間は成長過程でどちらかを使いやすい手として集中的に使うようになります。
そして、一般的には9割の方が右手を使うため、右利きがスタンダードです。
そんな中で左手を使うことが、異質なこととして見られることは仕方の無いことかもしれません。
これを、身近な存在である親や親戚などは、その子の将来を考えて右手でできるようにすることが、その子のためだと思い懸命に使いにくい手で箸や鉛筆を握らせるように、持ち替えさせて左手を使わせないようにするのです。
これは、左手を使うことがその子にとってのスタンダードであるところに世の中のスタンダードを押し付ける行為だということを最近になって思います。
何とかして、世の中のスタンダードにしようという親の使命感が、この行為を後押ししています。
でも、その行為が「自然体では受け入れられない」「何か自己肯定感が持てない」ということにつながると思います。
自分もそんな、何か自分が異質な者、受け入れられない者という感覚に苦しんだり、今も時々思うことがあります。
苦しむからこそクロスドミナンスは社会の潤滑油になれる
私がそんな中、読んでストンと腹に落ちた本がありました。
度会金考(わたらいかねたか)さんの「ぼくは左きき」という本でした。
この本の副題に「本当の自分であるために」と書いてあり、惹かれるものがあり読み進めていくと、正に私の思いと一致する物がありました。
左利きを抑えて右手を使って生きることが本当の自分ではなく、偽りの自分を生きていることにつながるということで、度会さんは書痙(しょけい)という神経系の病気のこともあり、それまで右手で字を書くように矯正されて20年間過ごしてきたところから左手にペンを持ち替えて、本来の自分とあふれる個性を取り戻したと書かれています。
この様に自分を偽らなければ生きていけないと人目を気にして苦しんだ経験は、その時は生きる力を奪うほどの苦しみでしたが、過ぎてみればあらゆる人を色眼鏡で見てしまうことが無い、バランス感覚を持つために有効な時間だったと今では思えます。
この経験によって、クロスドミナンスとして苦しんだ人は世の中で潤滑油として機能していけるのではないかと思います。
両利きとクロスドミナンスの違い:まとめ

両利きとクロスドミナンスの違いについて見てきましたが、現在は多様性が許容される世界に少しずつ変わってきているので、昔ほど左利きを右に矯正されることは無くなったかもしれませんが、やはり多い者に合せる風潮は残っています。
スポーツや芸能人に左利きが多いのは、その特異性が有利に働く場面が多いためかもしれませんが一般社会では人と同じことが特に日本では求められます。
その子の個性を奪う危険性は子どもが大きくなるに連れてふくらんでいきます。
思春期の苦しみはやがて劣等感、自己否定につながります。
ありのままでいること、ありのままを受け入れること。
これをお互いに実行することが日本の幸福度を上げることにもつながることではないかと思います。
以上、両利きやクロスドミナンスの違いについて書きました。
最後まで読んで頂きありがとうございます。