こんにちは。
1967年6月のモンタレーフェスティバルに彗星のごとく現れてアメリカ中を席捲したジャニス・ジョプリンという女性シンガーを知ってますか?
今もテレビCMで曲が流されることもあり、その歌声はどこかで聴いたことがある人は多いのではないでしょうか?
そして今回はジャニス・ジョプリンを主役としたブロードウェイミュージカル「ジャニス」が初来日にて公演されます。
ミュージカル「ジャニス」では彼女の半生を描くとのことですが、ジャニスはその栄光の裏側に何ともいえない寂しさを感じていたそうです。
今回はジャニスジョプリンがミュージカルで来日するということと、その光と影のある半生についてのお話です。
ジャニス・ジョプリンがミュージカルで初来日

ジャニス・ジョプリンの半生を描くミュージカル「ジャニス」はブロードウェイの人気ミュージカルの一つです。
彼女の力強く、個性的な歌声とその歌声とは違うナイーブで孤独な日常とのギャップが観る人を惹きつけるのでしょうか。
ブロードウェイミュージカルの来日公演は様々なものがありますが、「ジャニス」は初の来日公演となるそうです。
ジャニスはブロードウェイの人気ミュージカル
↑実際のステージがどんなものか2013年のアメリカでの公演のものを見つけたのでご覧ください。
この公演は2013~2014年の間に行われたもので、その後の北米公演でもロングセラーとなりました。
ジャニスの代表曲をふんだんに盛り込んだミュージカルということで、ジャニスのファンはもちろん今回ジャニスの曲を初めて聞く方も、生バンドの演奏で歌われるのでコンサートを観るのと同じような感動にひたれるのではないでしょうか。
ジャニスのミュージカルは初来日
日本で初公演のミュージカル「ジャニス」はキャストも日本人でセリフも日本語なので英語がわからない方も安心して観ることができます。
キャストにはジャニス役に「BiSH」のアイナ・ジ・エンドさんがミュージカルに初挑戦で大抜擢されました。
そのジャニスに大きな影響を与えたアレサ・フランクリン役にはUAさん、ベッシー・スミス役には藤原さくらさんらの豪華キャストが脇を固めます。
また、総合プロデューサーは「東京事変」のベーシスト亀田誠司さんです。
そして亀田さんは劇中のバンドのベーシストとしても出演するということで、まさに歌も演奏も一流のものが期待できます。
▼公演情報
「ブロードウェイミュージカル『ジャニス』」
8月23日(火)、25日(木)、26日(金)東京国際フォーラム ホールA
OPEN 18:00 / START 19:00
■出演
ジャニス・ジョプリン:アイナ・ジ・エンド
アレサ・フランクリン:UA
ニーナ・シモン/ブルース・シンガー/ジョプリナーズ:浦嶋りんこ
オデッタ/ベッシー・スミス:藤原さくら
エタ・ジェイムス:長屋晴子(緑黄色社会)
ブルース・ウーマン/ジョプリナーズ/ザ・シャンテルズ:MARU
ジョプリナーズ/ザ・シャンテルズ:多和田えみ
ジョプリナーズ/ザ・シャンテルズ:菅谷真理恵
バンド:亀田誠治(Ba) / 河村“カースケ”智康(Dr) / 小倉博和(Gt) / 名越由貴夫(Gt) / 斎藤有太(Key) / 山本拓夫(Sax) / 西村浩二(Tp) / 半田信英(Tb)
[チケット]
SS席:16,000円 (前方席保証) / S席:11,000円 / U-25席:5,000円
■最速先行チケット受付:~6月5日(日)23:59
公式サイト:http://janis-musical.jp/
ジャニス・ジョプリンの半生

名前 | Janis Lyn Joplin |
出身地 | アメリカテキサス州ポートアーサー |
生年月日 | 1943年1月19日 |
亡くなった場所 | アメリカカリフォルニア州ロサンゼルス |
亡くなった日 | 1970年10月4日 |
ジャニス・ジョプリンの生まれたテキサス州ポートアーサーは保守的な町であまり目立つようなことを歓迎しない風潮がありました。
小さな頃から歌うことが好きで目立つ存在だったことや容姿をからかわれたこともあり、保守的な街ではういた存在だったようです。
インタビューで子どもの頃の思い出を聞かれるシーンがありますが、ジャニスの表情がそれまでとは一転してくもります。
有名になることで、ズカズカと人の心に土足で立ち入ってくるような質問をしてくるマスコミに度々対応するのは精神的にも追い詰められたことでしょう。
そんな孤独な少女時代を過ごしたジャニスは大学に入る前に酒やドラッグを覚え、現実逃避をしていたようです。
大学には入りましたが、授業にはほぼ出席せず喫茶店に入り浸る生活の末、18歳で初め人前で歌う経験をします。
その後20歳でサンフランシスコに行き、のちにジェファーソン・エアプレインを結成するヨーマ・コーコネンとフォーク・ブルース・デュオを組み夏のモンタレー・ポップ・フェスにも参加して新しいタイプの女性シンガーとして注目されるようになっていきます。
周囲には自由奔放で明るい女性としてふるまっていたジャニスでしたが、有名になることで本来の繊細さが出てきてドラッグへののめり込みがひどくなってきてしまいます。
その療養のために地元ポートアーサーに帰るのですが、サンフランシスコの知人からの誘いで再びサンフランシスコに戻りビッグブラザー&ホールディングカンパニーというバンドに加入します。
このバンドでの活躍が当時のヒッピームーブメントにはまり、ジャニスは若者のファッションアイコンとなります。
1967年夏のモンタレーフェスティバルがきっかけでした。
このフェスティバルにはジミ・ヘンドリックスやサイモン&ガーファンクルなど今でも歴史に名を残しているミュージシャンも出演したのですが、その中で一番の喝采を浴びたのがジャニスだったのです。
これを機にレコード契約を結ぶことになり同じ年の9月に発売されたアルバム「チープ・スリル」とそこからシングルカットされた「ピース・オブ・マイ・ハート」が大ヒットして、その人気を不動のものにしました。
ジャニスには栄光と孤独が共存
一躍「時の人」となったジャニスでしたが、有名になることで地元の人に歓迎されるのかと思ったのですが決してそうではありませんでした。
小さな頃に容姿をからかわれた経験はずっと胸の中にとどまっており、地元の同窓会でも同級生はジャニスを温かく迎えることはありませんでした。
スターとしてサインを求める人はいましたが、同級生として親しく話しかける人は誰一人いませんでした。
スターとしての栄光をつかんだジャニスでしたが、地元での挫折感は成功をつかんだ後も消えることはありませんでした。
この挫折感がジャニスの中でくすぶって力となり、外に歌となって出てきたのでしょうね。
それは孤独を必死で吹き飛ばそうとする魂の叫びであり、聴衆をひきつけるわけですね。
ジャニスにはパートナーはいたの?
ジャニスの周りには当時女性のミュージシャンがおらず、男性に囲まれた生活をしていたため様々な男性と関係していたと言われています。
その中でも、有名な人は4人です。
1人目はピーター・ルグランクというジャニスのステージの音響の手伝いに来ていた人物です。
ジャニスは19歳で大学を中退してしまい、西海岸の各地のクラブを転々とギターで弾き語りをしながら暮らしていましたが、そんな彼女が22歳の時にピーターは求婚したのです。
ジャニスの故郷のポートアーサーの母親のところに来て正式に結婚することを許してもらいました。
幸せの絶頂にいたジャニスは結婚の準備を進め、母親とウェディングドレスまでつくりました。
ところが、ピーターは仕事先のニューヨークで新しい恋人をつくり、同棲していたのです。
これを知ったジャニスは幸せの絶頂から叩き落され、故郷の苦い思い出がまた1つ積み上げられてしまいました。
こんなむごいことをされたジャニスの悲しみは想像するだけでも胸が痛みますね。
2人目はビッグブラザー&ホールディングカンパニーのギタリストのジェームズ・ガーリーです。
サンフランシスコに来たジャニスがバンドのオーディションを受けに来たのが最初の出会いでした。
出会って3週間で2人は恋人となり同棲を始めます。
ところが、このジェームズには奥さんと子どもがいたので不倫の恋となってしまっていたのです。
2人で暮らし始めて2週間でジェームズは奥さんと子どものもとへ帰っていきました。
そして3人目はジョー・マクドナルドという当時のヒッピームーブメントのリーダー的存在のこれまたギタリストでした。
ジャニスが24歳の時でした。
たまたま同じ楽屋となり、ふざけて話しているうちに仲良くなりジャニスのアパートに住み始めました。
ジョーとは価値観の違いから心が離れていき結局2人はあっさりと別れてしまいます。
その後、モンタレーフェスティバルでの成功を収めるのですが、この頃からジャニスは不特定多数の男性と関係を持つようになり、フェスティバルから8ヵ月後に妊娠の中絶手術を受けました。
この後ビッグブラザー&ホールディングカンパニーからジャニスは出て行き、さらに酒とドラッグにおぼれていきます。
成功と引き換えに彼女は孤独感を募らせることになりました。
そして4人目がビッグブラザー&ホールディングカンパニーのもう1人のギタリストのサム・アンドリューでした。
この2人は一夜限りの恋でした。
5人目の男性はデイビッド・ニーハウス。
ジャニスが酒とドラッグにおぼれ心身を病んでいた時に27歳の時にデビュー以来初めての長期休暇をとり、ブラジルのイアパネバビーチで2人は出会いました。
この男性との時間がジャニスにとっては一番の癒しだったようです。
2人で過ごしている時にジャニスはドラッグの禁断症状から見事に回復しクリーンな体になりました。
この穏やかな時間を続けるためには歌を捨てなければならなかったのですが、ジャニスは歌を捨てることはできませんでした。
そしてまだ若かったデイビッドは広い世界を見たいと北アフリカを目指してジャニスのもとを去っていきました。
ギリシャのクレタ島で手紙を書くことを約束したのですが、ジャニスの手紙はデイビッドが島を去った後に届き、読まれなかったそうです。
もし、ジャニスとデイビッドが手紙の交換に成功していれば、ジャニスは死なずにすんだかもしれないと悔やまれます。
ジャニス・ジョプリンがミュージカルで初来日:まとめ
ジャニス・ジョプリンがミュージカルで初来日します。
1960年代という特別な時代を駆け抜けたジャニスの半生を描くミュージカルはキャストの思い入れでパワフルなものになるでしょう。
故郷の町で傷ついた心は最後の恋人のもとで癒されたはずでした。
でも、ジャニスは歌を捨てることができなかったのです。
そのことで、2人は思いを寄せ合いながらも離れてしまいました。
寂しさを埋めるために、しばらく絶っていたドラッグをやってしまったことで、過剰摂取となり命を落としてしまいました。
ジャニスが生きていたらどんな歌手になっていたのでしょうか?
それを知る術は今となってはありません。
彼女の歌を聴く時に魂の叫びを感じるのは悲しさ、寂しさ、痛みを感じるからでしょうね。
笑顔が本当に愛らしい人でした。
この笑顔を守ってくれる人がそばにいなかったのは残念です。
このミュージカルでジャニスの残された魂が表現されればすごいステージとなるでしょうね。
というわけで今回はジャニス・ジョプリンはミュージカルで初来日というお話でした。