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ジョン・レノンの命日は日本時間と英国時間で12月9日 9にまつわる話

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こんばんは。

毎年この日が近づくと往年のロック・ファンは何とも言えないモヤモヤした気持ちになるはずです。

そう、1980年12月8日が元ビートルズのジョン・レノンの命日だからです。

クリスマスが近づくと、「War is over」が流れ、ジョンの歌声を聞く機会が増えるのですがそれとともにこの12月8日の悲しみも一緒にやってくる感じですね。

銃で撃たれるという凄惨な最期は世界中の人々に記憶されている事件です。

この12月8日の命日は時差のため日本時間では12月9日の昼間、英国時間では12月9日未明でした。

この9という数字にジョン・レノンが縁があるという話を聞いたことがありますか?

今回はジョン・レノンの命日が日本時間と英国時間では12月9日という話とジョンが「9」に縁のある人生を送っていたというお話です。

 

ジョン・レノンの命日は日本時間・英国時間では12月9日

ジョン・レノンの命日は一般的には1980年12月8日と言われています。

これは亡くなったアメリカのニューヨークの日時ですから正しいのです。

ただ、ジョンの生まれたイギリス、そしてヨーコ婦人が生まれた日本はアメリカのニューヨークとは時差があることから1980年12月9日がジョンの命日と言われています。

ちなみにイギリスは5時間の時差があるので1980年12月9日の明け方4時頃、日本では14時間の時差があるのでお昼1時頃でした。

そして、「9」という数字がジョンの生涯の中で縁のある数字だということをジョン自身も知っていました。

 

ジョンの誕生日とショーンの誕生日までもが「9」

人生の始まりからジョンは「9」に縁がありました。

ジョンの誕生日は1940年10月「9」日です。

そして、これだけではなく息子のショーンの誕生日までもが1975年10月「9」日なんです。

これに関しては、「9」のみならず誕生日が父子で同じであることに更に驚きますね。

ヨーコとの間に生まれたショーンは現在46歳です。

5歳で父親を亡くしたショーンは今、ミュージシャンとして父親の背中を追いかけています。

 

ビートルズのデビューに関わる「9」

ビートルズの才能をいち早く見極め、世界に羽ばたく翼の役割を担ったマネージャーのブライアン・エプスタインがイギリスのリバプールのキャバーンというクラブでビートルズの演奏を初めて観たのが1961年11月「9」日でした。

それから、ロンドンでEMIとレコード契約を結んだのが1962年5月「9」日、デビュー・レコードの「Love Me Do」はパルロフォン・レコードのR4「9」4「9」でした。

 

学生時代の「9」

ジョンはリヴァプール美術大学で学生として過ごしましたが、毎朝ジョンが通っていたバスが72番のバスです。

これは7+2=「9」ということで、少々強引な気もしますが、この様な縁はこの後も続いていきます。

 

オノ・ヨーコとの出会いの「9」

ジョンが初めてヨーコと出会ったのは1966年11月「9」日でした。

そして2人が一緒に暮らすことになったアパートはニューヨーク市の西72番街(7+2=9)にありました。

2人がいたダコタのアパートも72でした。

2人の結婚の日が星に出ていると言ったのはジョンとヨーコの英語表記の「John Ono LennonとYoko Ono Lennon」のアルファベット「o」が9つあることから関連付けたようです。

ここまで来ると、住まいに関してはジョン自身もこれを知っていて自ら選んで住んでいるような気もしますね。

 

曲名の中の「9」

ジョンの曲は確かに9を入れた曲名が何曲かありますね。

ビートルズの「レボリューション9」、「ワンアフター909」、ソロになってからの「#9ドリーム」などの曲名の中にも見ての通り「9」をふんだんに取り入れています。

中でも「レボリューション9」は曲というより、演劇音声の様な作りでメロディーは無く曲中で「Number9」という意味不明なつぶやきが何度も繰り返されるのですが、自分と縁のある「9」を入れたかっただけなのかも知れませんね。

また、これは変わった数え方にはなりますが、ソロのジョンの曲の代表作の1つである「All we are saying is Give Peace A Chance」が9つの単語で構成されていると冗談ぽく周りに話していました。

 

自分にとってのラッキーナンバーだと思い込んでいた

ここまでジョンを取り巻く「9」という数字を追ってきたわけですが、ショーンの誕生日は自分ではどうにもできない事ですが、それ以外のことはジョン自身が生きている途中で発見しむしろ自ら寄せていっているようです。

 

ジョンの家族やビートルズの仲間までも乗せていく「9」

ジョンが最期に曲を書いたのがリヴァプールのウェイバートリー、ニューキャッスルロード「9」番地でこれは母親の家でした。

また、育ての親のミミおばさんを引っ越しさせたのも新しい番地はパノラマロード126番地(1+2+6=9)でした。

ちなみにラスヴェガスにギャンブルをしに行った時にルーレットで繰り返し賭けた数字が「9」でしたが、たいてい負けていました。

また、アスコットの家、ティッテンハースト・パークを1973年「9」月「9」日にドラマーのリンゴに売っています。

 

ツアー中に受けた行為の中の「9」

1964年ビートルズはファンの熱狂の中にいましたが、そのツアー中に受け取った脅迫状には「今晩「9」時に、俺はお前を撃ってやる」と書かれていました。

 

最期の最期まで「9」をまとっていたジョン

ジョンが銃で撃たれて亡くなった後、その亡骸はルーズベルト病院に運ばれましたがこの病院の住所がマンハッタン「9」番街にありました。

 

ジョン・レノンの命日の日本時間・英国時間:まとめ

亡くなってから早くも41年が過ぎようとしていますが、毎年、命日が近づく度にジョン・レノンが生きていたらどうなっていたかという話が出ます。

平和の実現を夢見て、夫婦で奔走してきた2人ですから活動を続けられる限り続けていたのではないかと想像します。

その過程で歌を生み出し世に発信していたでしょうね。

毎年、ジョンの命日にはその前後で何らかのメッセージを発信していたヨーコさんが88歳という高齢につき認知症を患ってメッセージの発信が難しいのではないかという噂を聞きます。

時間が確実に刻まれ、関係者も年齢を重ねています。

でも、このクリスマスへ向かうタイミングで「War is over」が流れ命日を迎える時が1年で一番ジョンが思い出される時期ではないでしょうか。

この命日は日本時間と英国時間では12月9日ということなので、正確な時に思いを寄せたい方は日本であれば12月9日昼12時50分がジョンの亡くなった時間です。

ラジオでつい2日前「So This is Christmas~」と流れ、どこの局かわかりませんがジョンの特集をやっていました。

私はビートルズ世代ではありませんが、中学生の時になぜか学校で大流行し、かなり聞き込みました。

今は時々アレクサにリクエストして聞いています。

思春期に聞いた曲はよく覚えているものですね。

というわけで、今回はジョン・レノンの命日は日本時間・英国時間で12月9日という話と、「9」にかなり縁がありジョンも自らそれにちなんで場所を選んでいたという話でした。

ABOUT ME
hopendoors
神戸在住。三重、東京、石川、愛知、岐阜、福井に在住経験あり。 日常の思いつき、気になったことをブログにしています。 サッカー観戦、釣り、キャンプを中心にアウトドア全般が好き。 家族からは変わり者と言われますが、外ではいい人で通ってます。 ひらめき、思いつきを大切にしています。