こんにちは。
好評放送中の「鎌倉殿の13人」ですが、源平の戦いがいよいよ始まりました。
第5話では史実でも有名な「石橋山の戦い」が描かれました。
頼朝軍300人に対して大庭軍3000人というムチャな戦いをしかけた源頼朝。
結果は見ての通りの大敗でした。
そして、もう一つの史実。
それが北条宗時の死です。
あまりにあっけなく亡くなった兄。
善児に後ろからあっさり首を切られ亡くなります。
これは宗時の本当の死因なのでしょうか?
今回は鎌倉殿の13人で描かれた北条宗時の死因が本当なのか、調べてみました。
鎌倉殿の13人の北条宗時の死因は本当?

歴史ドラマは登場人物の最期がわかっているだけにそこへ向かっていくキャストを見ていて辛いものがありますね。
私はこの「石橋山の戦い」について調べていたら北条宗時が亡くなることを知ってしまっていたので、第5回は宗時が勇ましければ勇ましい程、辛いものがありました。
でも、実際に宗時が亡くなるシーンを見た時に違和感を感じました。
北条宗時は戦死だった
北条宗時は歴史資料の記述が少なく、生年もよくわかっていません。
わかっているのは北条時政の嫡男で義時の同母兄弟であること、そして「石橋山の戦い」の後の分散行動中に小平井久重という平家方の武将に弓で射殺されたということです。
つまり、ドラマに描かれているシーンは創作です。
この時代はそもそも1000年近く前で歴史資料も古い時代程少なくなってしまいます。
宗時の死は吾妻鏡に記載があるのですが、そもそも吾妻鏡が信憑性が高くないと言われているので、諸説あってもおかしくないのかもしれません。
北条宗時にはこんな異説もある
幼名を若王丸といい、16歳の時に出陣した戦場で右腕を切り落とされたため、家臣とともに信濃国安曇郡の仁科氏領へ隠居し、同地で没したという伝説がある。現在でも北条屋敷として地名が残り、若宮社として祀られている。
出典:ウィキペディア
こんな異説もあるんですね。
これだけ色々と書き換えられているのは北条宗時という武将が当時、有名だった証拠かもしれませんね。
北条宗時の墓はどこにあるの?

〒419-0121 静岡県田方郡函南町大竹218−4
場所はネットで検索すれば出てきます。

墓はひっそりとしたところにあります。
この墓は宗時の死後20年あまりが経った時に父・時政が夢のお告げがあり、この地に訪れた時に作ったと言われています。
ですので、墓というよりは供養塔の意味合いが強いものですね。
大きな墓石が宗時のもので小さなものは、石橋山の戦いで頼朝に味方して戦った狩野茂光という武将の墓です。
北条宗時が残したもの
ドラマ中に宗時が義時に言ったセリフです。
「俺はな、実は平家とか源氏とかそんなこと、どうでもいいんだ。俺はこの坂東を俺たちだけのものにしたいんだ。
西から来た奴らの顔色を伺って暮らすのはもう、まっぴらだ。
坂東武者の世をつくる。
そして、そのてっぺんに北条が立つ。
そのためには源氏の力がいるんだ。
頼朝の力がどうしてもな。
それまでは、辛抱しようぜ。」
これが、この第5回「兄との約束」の題名のことであり、義時に志を与えたのでしょう。
宗時が源氏再興を推進した
第1話から源氏再興の旗振り役として積極的に動いてきた宗時でした。
なるべく当たり障りなく生きようとしていた義時の尻を叩き、源氏の旗揚げまでこぎつけました。
源平合戦の開始の第一声をあげたのも宗時でした。
そして、最期を迎える直前のセリフが先ほどの「坂東武者の世を作り、そのてっぺんに北条が立つ」というものでした。
まさに、以後の北条家の進むべき道を表したセリフでした。
ドラマの中で主役とも言えるキャストで一番早く亡くなっていく宗時に、三谷監督が北条家の未来の姿を暗示する役目を与えるという、粋なはからいですね。
宗時ロスが話題に ネットのみんなの声
オンデマンドで鎌倉殿の最新話復習して宗時ロスに追い討ちかけてきた。死んだ
— MAA(多忙) (@MAA_TC) February 9, 2022
【愛之助 宗時ロス】
NHK鎌倉殿の第5話”兄との約束”で、片岡愛之助さん宗時が、まさかの後ろからやられた 涙。普段は歌舞伎で会えます。以前見た愛之助さんの”らくだ”の汚れ役は見事でした👍#愛之助,#鎌倉殿,#歌舞伎愛之助歌舞伎感想↓https://t.co/URybg7ZAGD pic.twitter.com/gKpZWkx7HF
— 和のソムリエ 電脳和風 cyber-jp (@cyberjp3) February 9, 2022
鎌倉殿の13人の録画見て北条宗時ロスになってます
死ぬこと知ってても辛い描き方だね…— 獅子座じゃない人(旧:LEOMARUGT)@日常アカ (@leo_maru_gt) February 9, 2022
「草燃える」の中山仁より、今回の愛之助が良かった。暫く宗時ロスは続く…函南へ墓参り行かんと… https://t.co/eMDuzof68B
— tozajun (@tozajun) February 9, 2022
鎌倉殿の13人録画してたの見たぁ~!
史実知らずに見てるから毎回ハラハラ
うああまじか、にいちゃん~~~!😱
ううう宗時ロスだよ~~😭💦— そ・りょ (@soryoBl) February 9, 2022
#平清盛 も見終わって、本年度1度目の平家滅亡。鎌倉殿でも平家物語でもまだ滅亡してないからヨシ!!
しかし宗時ロス&重盛ロスなり。— まいみ (@uXg2McfY4O03oYe) February 8, 2022
北条宗時の死因は本当?:まとめ

鎌倉殿の13人第5話で義時の兄・宗時が亡くなってしまいました。
ドラマで4回にわたり、源氏の旗揚げを推進してきた宗時でした。
視聴者もかなり親しみがわいているキャストですから、ショックでしたね。
この死因に関しては、ドラマに描かれているものは創作だと思われます。
実際は敵将に弓で射殺されてしまっています。
でも、宗時の志「坂東武者の世をつくり、そのてっぺんに北条が立つ」というものはしっかりと義時に引き継がれました。
兄が亡くなることで、ますます義時が先頭に立たなければならない状況が生まれるでしょう。
兄との約束としてしっかり志を引き継いだ、今後の義時の活躍に期待します。
以上、鎌倉殿の13人の北条義時の死因は本当だった?というお話でした。