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島守の塔の島田叡は兵庫県出身で中学や高校と子孫のその後は?プロフィールを紹介!

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こんにちは。

2022年は沖縄県が日本に返還されて50年の節目の年にあたります。

この節目の年、沖縄にアメリカの兵士が攻めてきて大規模な死者が出た当時の様子を綴る映画「島守(しまもり)の塔」が2022年7月22日に公開です。

その中で主役となるのが当時の沖縄県知事だった島田叡(しまだあきら)です。

この島田叡が兵庫県の出身ということで調べてみました。

この映画の監督である五十嵐匠さんは「偉人伝をつくるつもりは全くない」と語っていて、この映画が島田叡の美談を描くものではないことが予想できます。

沖縄県が舞台のNHKの朝ドラのちむどんどんで仲間由紀恵さん演じる比嘉優子が戦争の悲しい記憶を思い出して悲嘆にくれる姿が描かれていました。

そんな激動の沖縄県を導いた島守の塔の主役の島田叡が兵庫県の出身というお話です。

 

島守の塔の島田叡は兵庫県出身

 

名前 島田 叡(しまだ あきら)
生年月日 1901年12月25日
没年月日 1945年6月26日(詳細不明)
出身地 兵庫県神戸市須磨区
県知事在任期間(官選第23代沖縄県知事) 1945年1月12日~1945年6月27日(詳細不明)

島守の塔の主役の島田叡さんは当時の沖縄県知事でした。

当時は終戦間近で戦況は敗戦が現実味を帯びてきて、沖縄県にはアメリカ兵の上陸が噂されていました。

誰もすすんで行きたがる人はいません。

そんな中、沖縄県知事の候補としてあがったのが島田叡さんでした。

当時は国が知事を任命していて、国が任命する形での最後の沖縄県知事が島田さんでした。

 

島田叡の出身地や出身高校は?

島田叡さんの生家は現在の兵庫県神戸市須磨区西須磨上樋詰1番地(現在の須磨寺町2丁目2番地)でした。

開業医の島田五三郎の長男として生まれました。

高校は現在の兵庫高校を卒業しています。

大学は東京大学法学部を卒業しているので兵庫県に住んでいたのは高校までです。

中学高校ともに野球部で活躍し、大学時代は野球部のスター選手でした。

スポーツ万能で野球部以外にもラグビー部にも参加していました。

野球部での功績から東京ドーム内の野球殿堂博物館に建てられた戦没野球人モニュメントに名前が刻まれています。

学校卒業後は内務省に入省し主に警察畑を歩みます。

県知事赴任前の1945年1月には大阪府内政部長をしていました。

 

島田叡が沖縄県知事を引き受けた理由

戦火が迫る沖縄県知事の人事が難航する中、大阪府内政部長を務めていた島田さんに声がかかります。

1945年1月11日、大阪府の官舎で美喜子夫人と2人の娘との朝食中に上司から呼び出しを受けました。

島田さんは奥様に相談することなくほぼ2つ返事でこの内示を引き受けてきます。

奥様や残された2人の娘さんの悲しみを思うといたたまれません。

島田さんがこの内示を受けた理由として奥様に残した言葉が「誰かが行かないといけないとなれば、言われた俺が断るわけにはいかない。嫌だから誰かに行けとはいえない」

というものでした。

公私のうち公を偏重する傾向が当時の日本にはあり、上司の話には基本的に「No」と言わないのが、美徳とされました。

そのうえ島田さんは仕事を片付けたらすぐに戻ると言っていたため、家族の見送りはあっさりしたものでした。

まさかこれが今生の別れになるとは奥様も娘さんも思わなかったようです。

当の島田さんは自殺用にピストル2丁、日本刀、青酸カリを持って行ったので自分が死んでしまうかもしれないという覚悟は持っていたようです。

 

島田叡の奥さんや子どもはどうなったの?

結局島田さんは沖縄での激しい陸上戦の中、消息がわからなくなり、亡くなってしまいました。

残された奥様は当時36歳、娘さん2人は10代でした。

奥様は家族を養うために東京・吉祥寺の都営住宅に住みそこで女学生を下宿させて雑貨を販売するなど必死で働いたということです。

その後、取材の申し込みや顕彰などは全て断り口を閉ざしてきました。

沖縄県で失われた多くの命を思うと、取材や顕彰は断るべきだとお兄様には話していたそうですが、実際は思い出すのがつらいということが口を閉ざした理由でもあったそうです。

 

島守の塔はどんな話?

「島守の塔」は島田さんが亡くなったあと1951年に沖縄県民の寄付により建てられた慰霊碑です。

摩文仁(まぶに)の丘平和祈念公園内にあります。

島田さんがこの丘の壕から荒井退造警察部長と連れ立って出た後に消息を絶ったため、この場所が2人の亡くなった場所とされています。

慰霊碑には島田さんをはじめとする沖縄本土で県民の安全確保のために身を挺して戦った県職員469人の方の名前が刻まれています。

この慰霊碑をタイトルとするこの映画は沖縄の本土決戦を舞台とした映画です。

 

島守の塔のあらすじは?

日本が総力戦へと突っ込んでいった沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚・兵庫県出身の知事・島田叡さんと栃木県出身の警察部長・荒井退造さんを主役とした映画です。

学生野球の名プレーヤーとして有名だった島田さんは、戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任します。

島田さんは着任当初は度重なる軍の命令に応えるべく内務官僚としての職務を全うしようとしていましたが、戦禍が激しくなるにつれ、自分が県政のトップとして軍の論理を優先し、住民保護とは相反する戦意高揚へと向かわせていることに苦悩しはじめます。

そして多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田さんは「県民の命を守ることこそが自らの使命である」と決意します。

警察部長の荒井さんもまた島田さんと行動を共にし、職務を超え県民の命を守ろうと努力します。

実は、沖縄戦で2人は、それぞれつらい経験をしていました。

島田知事が着任する前、荒井さんは沖縄を離れていた前知事の代わりに県民の疎開を必死に推し進めていました。

その矢先、本土に向かっていた学童疎開船「対馬丸」を米軍の攻撃に遭わせてしまったのです。

そのため、数多くの子供達が犠牲となりました。

その船には自分が疎開をすすめた部下の家族も乗りあわせていたのです。

そして、島田さんは県政の責任者として軍の命令を受けて鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊として多くの青少年を戦場へと向かわせていました。

2人はそんな苦しい経験をしながらも、戦争末期、戦禍が激しくなる中、必死に県民の疎開に尽力し多くの沖縄県民を救っていきました。

一億総玉砕が叫ばれる中、敗走しながらも、島田さんは叫びました。

「命どぅ宝、生き抜け!」

映画「島守の塔」は、第二次世界大戦の末期、長期にわたる日本国内唯一の地上戦があった沖縄を舞台に、軍の圧力に屈しながらも苦悩し県民の命を守り抜こうとした島田さんと荒井さん、そして沖縄戦で戦火に翻弄されながらも必死に生きる沖縄県民、それぞれの生きる姿を描く映画です。

 

島守の塔のキャストは?

島田叡を萩原聖人さん、荒井退造を村上淳さんが演じます。

防空監視隊で県職員の女性比嘉凛役は吉岡里帆さんと香川京子さんがリレーで演じます。

そして凛の妹で看護学徒隊の比嘉由紀役は豊見城市出身の池間夏海さんが務めます。

沖縄県出身ということで池間さんは特別な思いがあると思いますが、池間さん以外にも吉田妙子さん、津波信一さん、仲座健太さん、蔵下穂波さん、棚原奏さんら沖縄県出身の役者さんが多数出演します。

 

島守の塔の島田叡は兵庫県出身:まとめ

2022年7月22日公開の映画「島守の塔」の主役となる島田叡さんが兵庫県出身ということで、大変身近に感じ今回調べました。

その中で島田さんご本人の苦悩は想像を絶するものがあったと思いますが、そんな苦しい環境の中でも多くの方の命を救った功績は大きいです。

島田さんと荒井さんの決断で沖縄県民が県外へ約7万人、本島北部へ約15万人疎開し合わせて20万人以上の人が命を救われました。

それでも結局亡くなった方は20万人と疎開した方と同じくらいの尊い命が失われました。

亡くなった方の人数は沖縄県民の4分の1にものぼり、犠牲者は軍人だけではなく武器を持たない女性や子ども、県外から職務で赴任した一般市民も含まれていました。

沖縄県の歴史が日本という国の都合に翻弄されてきたものだということがわかり、沖縄県民から見た日本の姿はどうなのかと考えるきっかけとなります。

ウクライナのこともあり、戦争に関する話題は重たく感じてしまいますが私たちは血塗られた過去を知り、それを2度と起こさないようにする責任を負っていることを改めて実感します。

島田さんが犠牲となり、ご家族が大変つらい思いをされましたが、同じように家族に先立たれつらい思いをされた方がたくさんいたことを思うと胸が苦しくなります。

日本に生まれてきた以上、この歴史から目をそむけることはできません。

沖縄の歴史から学び、今何をするべきか考えるきっかけになる映画ですね。

以上、島守の塔の島田叡さんは兵庫県出身というお話でした。

ABOUT ME
hopendoors
神戸在住。三重、東京、石川、愛知、岐阜、福井に在住経験あり。 日常の思いつき、気になったことをブログにしています。 サッカー観戦、釣り、キャンプを中心にアウトドア全般が好き。 家族からは変わり者と言われますが、外ではいい人で通ってます。 ひらめき、思いつきを大切にしています。