こんばんは。
桜が満開を迎えそろそろ散り始めています。
春の本格的な訪れを感じる季節ですが、今から100年以上前の1912年4月14日に当時の世界最大の豪華客船だったタイタニック号が沈没しました。
前代未聞の大惨事が起きた日として4月14日は「タイタニック号の日」と定められています。
どの様にタイタニック号が沈没してしまったのか?何故多くの犠牲者が出てしまったのか?沈没するまでの様々な人々の様子や映画のことなどのお話をします。
4月14日は「タイタニック号の日」で20世紀最大の海難事故として映画にもなったタイタニック号についてです。
4月14日はタイタニック号の日

1997年公開の映画「タイタニック」を覚えている方は多いのではないでしょうか。
一方で1912年4月14日がタイタニック号の海難事故の日だということを知っている方は少ないかもしれません。
その当時の世界最大の豪華客船だったタイタニック号はイギリスのサウサンプトンからアメリカのニューヨークを目指して北大西洋を航海中の4日目に沈没して多くの命が失われました。
タイタニック号は何故沈んだのか?
タイタニック号は1912年4月14日23時40分に氷山に衝突したことで船体が損傷し船内に浸水したことで4月15日2時20分に沈没するという前代未聞の海難事故として語り継がれています。
タイタニック号は4月14日朝9時から氷山への衝突の間に他の船舶からの氷山の警告通信を6件受け取っていましたが、無線機の故障を直すためにオペレーターが他船からの「大きな氷山を2つ通り過ぎた」とのメッセージを船長に伝え忘れたと言われています。
当時の客船は時間重視でかなりスピードを上げて航行することが慣例となっていました。
最高速度44km/hで航行していたのを他船からの警告メッセージを受け42km/hに減速しましたが、この減速はほぼ最高速度と変わらず、スピードを上げすぎていたと認識されています。
氷山を発見してはいましたが、当時は氷山への衝突で船が沈没した前例はなく船長をはじめクルーたちも軽く考えていたようです。
23時39分に氷山が目の前に出現したことを監視役が船橋に報告し、船橋から操舵員に左へ舵をきるように伝達します。
この間に30秒かかり氷山にかなり近づいた状態から船が左に曲がるように舵がきられ始めました。
それに加えスクリューを逆回転したため舵のきれは悪くなり、船が少し左に向いた状態でそのまま氷山をがりがりと削りながら左へ曲がっていきました。
そのため船体の右側面がかなり氷で削られ、その衝撃で船体に穴が開き浸水してしまいます。
タイタニック号が沈没するまでの時間
氷山に衝突してから沈没するまでの時間は2時間40分です。
この時間が長いのか短いのかはわかりませんが、初めは船体が少し傾く程度だったのですが船底で働く人は船の中に水が流れ込んできていることを感じました。
船内にもし浸水しても、水を外へ運び出すポンプがあるため少量の浸水であれば沈没することはありません。
ところが、船体の損傷でポンプの水出し量に対して10倍以上の量の浸水が船底ではおきていました。
そこで船の設計者にきいたところ、沈没まで約2時間だろうと話したとのことで、早い段階で沈没の予想はされていました。
船長のエドワード・J・スミスもこの事故で亡くなってしまいましたが、船が沈んでいく時には混乱していたようで陣頭で指揮をとる様子はありませんでした。
他のクルーが自己判断で救命ボートを下ろし救助活動を進めました。
沈み行く船の中の人々の様子
今回の事故を受けて人間性のあらゆ側面がみられています。
その中で妻や子どもを救命ボートに乗せ自分は船に残る決断をしたかたがいます。
また、ある夫婦は夫が妻に救命ボートに乗るように勧めるのです妻は夫と離れたがらずに、ついには船と一緒に静まります。
船の楽団が船が沈む直前まで生演奏を続けました。
タイタニック号の海難事故の犠牲者の数
タイタニック号は部屋数が多いため部屋の種類によって生存率はかなりばらつきがあったようです。
甲板に近い部屋ほど上流階級だといわれています。
命を落とさずにすんだ方は最上階の1等客室と2等客室の女性と子どもは90%を越えましたが、3等客室では50%を下回りました。
実際に何人の方が亡くなったかは不正な乗船者がいたため正確には把握できていませんが、1490~1635人と言われています。
乗船客は2200人程だと言われているので乗船者の70%以上が亡くなったことになります。
21世紀になった現在も身元の特定作業は続いているとのことです。
また、沈没したタイタニック号に乗船していて生還した方の中にはミュージシャンの細野晴臣さんのお父様がいました。
事故を受けて法整備が進んだ
タイタニック号の海難事故が世界に与えた衝撃は大きかったので、海事法規について改正が行われました。
タイタニック号は乗員に対して明らかに少ない数の救命ボートしか積んでいなかったため犠牲者が増えたと言われています。
このことを受け救命ボートを確実に増やし、救命訓練の実施が義務付けられました。
映画タイタニックは大ヒットを記録

1997年に公開された映画「タイタニック」はこの事故をモデルとして作成されたジェームス・キャメロン監督の大作でした。
全世界であげた興行収入は18億3500万ドルで2009年に「アバター」に抜かれるまでは映画史上最大の興行収入としてギネスブックに認定されていました。
レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットは一躍時の人
この映画で主役を演じた2人の役者であるレオナルド・ディカプリオとケイト・ウインスレットは一躍時の人となり世界中に名が知られることになりました。
特にレオナルド・ディカプリオは当時23歳で貧しくても純粋で情熱にあふれる青年のイメージにぴったりとはまり、その端正な顔立ちとあいまって世界中に旋風を巻き起こしました。
日本でもレオ様と言われ注目されていましたね。
事故の悲惨さとともにあきらめないことの大切さを訴えた
この映画ではタイタニック号の事故が壮大なスケールで再現されていて、水が船内に流れ込んでくる様子や最後に船が沈んでいくところなど目を覆いたくなるような悲惨なシーンが描かれています。
その中でディカプリオが演じるジャックは救命ボートに乗れずに沈没したタイタニック号から水温マイナス5度の海中に投げ出されます。
恋人のローズを人一人乗るのがやっとの船の部品の上に乗せて自分は海中に身を沈めて体温が奪われていく中、ローズに最後まであきらめないように励ましのメッセージを贈りながら海中で亡くなっていきます。
このメッセージを励みにローズだけは生き残ったのですが、無くなる直前までジャックがローズを励まし続ける姿は世界中に感動を与えましたね。
4月14日はタイタニック号の日:まとめ

1912年4月14日はタイタニック号が船舶事故としては最も悲惨な海難事故として記憶に残る沈没事故を起こした日です。
この事故から生還した最後の生存者の方は2009年5月31日に97歳で亡くなりました。
この方は事故当時生後9ヶ月でしたので事故の記憶はありませんでした。
事故の記憶がある生存者の方は当時5歳で事故にあったリリアン・アスプランドさんでしたがこの方も2006年に亡くなっているので当時を知る方は既に全員亡くなってしまいました。
それでも、この事故の悲惨さから様々な海底調査が現在も行われ、事故を風化させないように努力が重ねられています。
このような事故が起きて多くの命が失われた日として記憶にとどめ、2度とこのような悲惨な事故を起こさないことが後世の責任ですね。
今回は4月14日は「タイタニック号の日」についてのお話でした。